海軍高山流白兵抜刀術 金沢連絡所

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「高山流拱辰舘」再興の地、中津川

高山政吉先生の第二のふるさと、大分県竹田市
高山政吉先生の第二のふるさと、大分県竹田市

海軍高山流再興之地

昭和20年の終戦から高山流が風前の灯火となって74年の歳月が流れ、その間 何度か武道界に復帰しようと高山流祖の苦斗にもかかわらず時勢と諸事情により生前遂に世に出る事はありませんでした。

二世の小山先生、高弟の千原先生の代になって一度だけ和歌山県日高郡の居合道家・浮津真哉(西教寺住職)道場に御二人が招聘され40~50名の前で斬試演武と講話を行ったのみで終り、教本・資料などの発行も訓練場を設けての教伝も日の目を見ることなく亡くなられました。

三世の時代になりようやく「高山政吉年譜」(H25年130頁)を発行し高山流81年の歴史が一見して理解する事ができ、霧中に在った全貌が世間に知られる事になりました。

今後も三世、50年の足跡から得た史・資料と高山流精神と刀法をサル真似でなく古人が尋ねた雄峰山、武の道の源泉地を伝えるべく求道剣士にお知らせします。

高山流 地際斬 (チギワギリ)

腰を落して地上近くまで水平に斬る刀法。この技は他流ではあまり見かけない刀法で高山先生の実戦経験からあみ出されたものと思われる。

高山流八双の構

完全武装で柄を右耳上にもってくる即応斬 ができる高山流独得の構え。

刀身を後方に倒しているのが眼目でカタチは違うが理論は自顕流に近い考え方である。