高山流と戸山流
高山流と戸山流
戸山流は「陸軍戸山学校で教えていた居合道」というのは周知の事実ですが、その戸山流が造られる過程で、若しくは戸山流を改変する際に海軍高山流をおおいに参考にしたという事実は、今やインターネット等で簡単に調べる事ができますが、それまでは戸山流やその他の書籍等を深く研究しても、なかなか辿り着く事はできませんでした。その理由の一つに、当時の軍部のプライドがあると松原先生のお話にありました。
当時の帝国軍は、陸軍と海軍が互いにライバル視しており、いい意味で切磋琢磨の状態でした。陸軍戸山学校は文字どおり陸軍の将校クラスが運営しており、そこの教材としての戸山流もそれら方々に運営されていました。片や高山流は海軍。しかも流祖の高山政吉先生は軍属として従軍されていました。
陸軍と海軍。将校と軍属。そのパワーバランスが永らく高山流が世間に知られる事なく「幻の抜刀術」とされた経緯だということです。